英語学習を始める前に、英語と日本語の違い、つまり、英語を話す人達はどのように目の前で繰り広げられている状況を捉え、それをどの様に言語化するのか、そのことをまず認識しておくことは、英語の勉強にとって、とても大事なことだと僕は思っている。
ブログを始めようと思った動機
今、僕は思う。学生時代(中学、高校、大学)に、上記のことを教えて下さる英語教師に出会っていれば、これほどまでに遠回りをせずに英語がマスター出来たのではないかと。もっと早い時期に「これが英語なんだ!」という感覚を持つことが出来たのではないかと。そして、しっかりとした自信を持って、今の様に英語を書き、また、話すようになれたのではないかと。
僕は、皆さんが僕の様に遠回りをして、「英語をマスターするのに多大な時間を費やして欲しくない!」と、素直に思っている。
僕がこのブログを書こうと思った動機、動機ってなんだと素直に心に尋ねたら、上記の様な言葉が自然に頭の中に現れてきた。静かな朝の時間帯に自然に心から湧き出て来た言葉であるだけに、上記が、僕がこのブログを書こうと思った素直な動機だと思う。
僕のこれまでの経歴概略
読者の中には、「あなたは一体どんな人?」って思う人がいらっしゃるかと思うので、これまでの僕の経歴を簡単に書くことにします。
大阪で誕生 → 私立幼稚園 → 市立小学校 → 市立中学校 → 府立高校 →
私立大学 → 一部上場企業(日本 → 海外 → 日本)
英語への興味:
僕は、中学で初めて英語に触れた。中学校で英語が好きになり始めたという記憶はない。僕は、それぞれの科目を平均的に勉強する平凡な中学生であったように思う。
高校に入って、英語教師がクラスの担任となった。三学年までクラス替えのない高校であったため、クラスの担任は三年間その女性英語教師の方だった。その関係で、毎学年の英語の授業は主にその先生によって行われた。その先生は、大学で中国語を専攻した方で、しっかりと教育指導要領に則って授業を進める方だった。当時は、英会話の授業はなく、文法、読解、リスニングが中心の授業だった。
その先生が産休に入った時に、臨時で期間採用の女性の英語の先生がクラスに現れた。大学では英語を専攻した方で、英国留学の経験をお持ちだった。ECCでも英語の講師をされており、御主人が英国人であった。英国発音で、流暢に英語を話すその先生の授業を、僕は楽しいと思うようになった。お昼休みの時間を利用して教職員室に居るその先生の所に行き、英国のことや英語のことを本当に沢山尋ねたのを覚えている。その頃からだと思う、僕が英語の勉強に一生懸命になり始めたのは。
高校二年生の夏、英語の勉強が出来る大学へ進学しようと決めた。一年足らずで、僕の英語の成績は一気に伸びた。学年でトップの成績を収めるまでになった。その時、僕の英語の勉強を応援してくださった先生は、クラス担任の英語教師ではなく、また期間採用で高校にいらっしゃっていた英語講師でもなかった。別の男性の英語教師だった。成績順位表を見て、僕の存在に気付いて下さったようで、「もっと勉強したら君の英語力は格段に伸びる!」とおっしゃって下さった。服装に非常に清潔感があり、言葉使いは非常に歯切れが良く、性格はあっさりとした方だった。思ったこと、感じたことをいつも明確に述べる方で、僕はその先生が好きだった。その先生は大学では英語学部を卒業しておられ、英語の読解説明や発音においては、他の先生とは比較にならないほど素晴らしいものがあった。それ故なのか、その先生は教職員室で他の英語教師達のリーダー的存在となっていた。僕は、その先生から頂いた励ましの言葉を契機に、さらに一生懸命に英語の勉強に取り組んだ。
大学では英語を専攻した。大学時代に中学校の時の友達から電話が入った。「中学生を対象にした塾で、英語講師を必要としているから来ないか?」というものだった。彼は、工学部専攻で、その塾で数学と理科を教えていた。僕は、二つ返事でそれを引き受けた。週に三回、一日二クラスの授業を受け持った。1クラスが1時間20分で、アルバイトの日は6時間ほど塾にいた。生徒たちの学校での成績を上げるためには、文部省(今の文部科学省)から学校に配布される英語教師向けの教育指導要領書を読む必要があった。この要領書と教科書を踏まえ、さらに民間企業から発行されている参考書を閲覧し、僕は授業用の問題集や試験問題を作成していた。この作成を通して、僕は日本の英語の教育方法を知ることが出来た。(文部省から各学校に配布される英語教師向けの学習指導要領書及び教育方法のマニュアルは、当時 民間の塾にも流れていた。)
大学では教職課程もとっていたので、3回生の時には母校の高校へ教育実習にも行った。高校の時にクラス担任であった先生にお願いして、その先生の下で教育実習を受けた。実習開始早々予想もしていなかったことが起こった。その先生の下で実習を行ったのは初日だけで、二日目からは実質的に自分一人で授業を行うことになった。その先生が急性肺炎になったからだ。
僕は指導教官不在の下で教育実習を行うことになった。時折、他教科の先生が覗きに来ることはあったが、「彼なら任せておいて大丈夫。」と先生方はおっしゃっていたようで、僕は実習期間の二日目から最終日まで、ほぼ二週間 実質的に一人で授業を行った。僕は、塾で講師をしている経験もあり、生徒の前に、また、ホワイトボードの前に立つことに何の緊張感も覚えなかった。(塾講師のアルバイトがある日は、高校での教育実習を終えた後、塾にも駆け込み、塾の講師も務めた。)因みに、僕の教育実習の評価点は、100点満点だった。
4回生になって、就職活動の時期になった。中学・高校英語の教職課程を修めていた僕は、高校の英語教師になろうかとも考えたが、最終的に民間企業に行くことに決めた。教育実習の時に教職員室の光景を見て、「あ~、この物理的に狭い空間、心理的に狭い人間関係の中で人生の大半の時間を費やすのは嫌だ。」と思ったからだ。もちろん、教員になると多くの生徒達との出会い、交流 及び 彼らの学力向上を通して、沢山の喜びを頂けるとは思ったが、それよりも僕自身が職業を通して大きく成長したいという気持ちの方が強かった。そして、それが実現できる職業を探すことにした。
実社会での英語の活用
民間企業に行くことを決めた僕は、英語が活かせる職業は何か?更に、海外行きのチャンスがある職業は何か?その事を考えた。そして、志願する職業が絞られた。商社か、海外事業部を有するメーカーである。当時、民間企業ではグローバル部門という言葉はまだ使用されておらず、海外事業部という部門呼称が使われていた。僕は体育会系の強靭な体の持ち主ではなかったこともあり、商社ではなく海外事業部があるメーカーを目指すことにした。
一部上場の輸送機器メーカーに就職が決まった。二代目の社長となる方の目に留まり、国際本部 アメリカ・ヨーロッパ本部という部署に配属となった。同部署のトップは、僕を評価して下さった将来の社長であった。当時、会社は北米のマーケットに力を入れていたので、頻繁に米国、カナダからお客様やスタッフが日本に来ていた。僕は、来訪者に対する本社での業務・技術事項の打ち合わせ、工場案内、現場視察、そして観光案内、会食と、毎日 英語を駆使して次々と押し寄せてくる仕事をこなしていた。同時並行で、製品の海外出荷業務にもあたり、また、翻訳部門の社員英語教育用マニュアルの作成協力も行っていた。日本の夜の時間帯は北米の経済活動の時間帯である、夜に日本から送ったコレポンの返信が翌朝には本社に届いている。夜遅くまで勤務して夜中に送信した自分の英文コレポンに対して、翌朝には北米の本部及び各店所からの返信が届いているのである。早朝にそれらに見入る僕は、一人悦に入っていた。
入社五年目に、大きなチャンスが僕に訪れた。経済成長著しいタイ国のバンコクへの赴任である。当初、タイ国への赴任の話を聞いた僕は、正直「何故 米国やヨーロッパの国ではなく、タイ国なのか?」と思った。けれど、会社の期待を背負っての赴任である。快く引き受けることにした。結果的に、このタイ国への赴任が僕を大きく成長させてくれた。タイ国での駐在生活、ビジネス活動を通して、僕はどっぷりと英語の世界に浸ることが出来たからだ。(もちろん、日常生活の場での言語はタイ語である。タイ語の学習においては、語学学校から家庭教師を自宅に派遣して頂いた。仕事で多忙を極めていた僕は、その家庭教師の方を秘書として採用し、日々の仕事の時間も活用して短期間でタイ語を習得した。)
現在、僕は日本で勤務している。これまでの経験を十分に生かせる業務に就いている。バンコクにオフィスを設立し、13年間の会社運営に当たった僕は、社業の総てを見渡すことが出来た。そして、多国籍の人々が集まり多文化が同居している都市、バンコクで、異なる国々の多くの人々と交流し、多文化への理解を深めることが出来た。
そのような経験を活かして、現在 僕は、公式に社外に出る英語文書、会社ウェブサイトの英文記事、英文販売カタログ、各種英文マニュアル、英語研修ビデオ、役員等の英語スピーチ原稿と、あらゆる種類の社内文書の英文ライティングを行っている。
ブログを始めるに当たっての姿勢
冒頭の「ブログを書こうと思った動機」で述べたように、僕はこのブログで、
「英語と日本語の違い、つまり、英語を話す人達はどのように目の前で繰り広げられている状況を捉え、それをどの様に言語化するのか」、
そのことを読者の皆さんにお伝えしていきたいと思う。
このことを理解した上で英語の勉強を始めることが、とても大事であると思うからである。その説明が終わった後で、具体的に英語学習へと入っていきたいと思う。
英語学習では、英語を母国語として話す人達が、どの様な発想をして英語の文を作り上げるのか、出来るだけそのことを織り交ぜながら、話しを進めていきたいと思う。
最初に皆さんの心に留めておいて頂きたいと思うことは、日本語の発想で日本語の文を作り上げ、それに沿う形で英語文を書き上げたり、話したりしても、それは大抵の場合 本来の英語表現からはかなりかけ離れたものになっているということである。
それでは、僕と共に英語学習を進めて行きましょう。まずは、第一章:「狩猟民族から生まれた英語」と「農耕民族から生まれた日本語」へどうぞ!